「あ!」とか「おっ!」とか
心にとまるものがある時に写真を撮っている。
ある時 ふと
写真には、
写したもの、というより、
〈その日その時の自分〉が写っているのかもしれない
・・・と 思った。
( 藤倉山にて )
同じ場所にいても 同じ景色の中にいても
人それぞれ 目に入るもの・心にとまるものは違うし、
同じものを撮ったとしても、
撮った写真は 違うものになるはず。
また、
自分が 同じ場所にいるとしても
心や体の状態が違えば 撮るものも撮り方も違うだろう。
・・・とすると、
写真の中には、
〈その日その時の自分・自分の想い〉
みたいなものが写っているのではないかと・・・。
そう思うと、
上手く撮れなかった写真も、
「なんで こんなのを撮ったんだろう?」というような写真でも、
なんだか自分の分身みたいな気がしてくる。
( 高館山にて )
( 庄内空港にて )
( 熊野長峰にて )
( 鶴間池のブナの樹上にて )
( 自宅近くにて )
( 自宅の窓から )
( 酒田市美術館にて )
でも・・・
こんなのは 自分だとは思いたくないかな。