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ふと目にとまったものや感じたことを写真と言葉で綴るBLUEの日記。

◆『街と山の間』…若菜晃子:著

 

久しぶりに本を読もうかなという気持ちになった時、
紹介していただいた本。

 

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著者は、
山や自然、旅に関する雑誌・書籍を編集・執筆する若菜さん。
大学卒業後 山と渓谷社に入社してから、山歩きをするようになったそうだ。
(現在は独立。)

文章も 本全体に流れる空気も
山で吹く心地よい風のような感じがした。
( 可愛らしいイラストも たぶん若菜さん。)

そんな若菜さんの文章は、
とても読みやすく、すっと心に入ってきたし・・・
同じようなことを感じているなぁ・・・と思ったところも。

 

今の私の心に残った文章から いくつかを。
今まで撮った中からの写真を添えて。
( 1枚目はYさん、11枚目はAさんが 送って下さったもの。
  私が写ってる~。( ´艸`) )

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ただ、少しずつ、 自分のペースで山に親しんでいけばいい。

 

 

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・・・山の風に顔を吹かれたり、転がっている石の上に座ったり、空の上の雲のかたちが変わっていくのを見ていたりしたことが、ずっと後になってから、大事な記憶として残っているのに気がつく。 

 

 

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・・・そんなふうに見つけた自分だけのお気に入りの場所は、そっととっておくといい。いつかまた、地図を開き、あそこへ行こうと思える山があるのは、人生において幸運なことだ。 

 

 

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・・・いずれも深々とした山々のなかにつけられた、人ひとり分の道が続いている。

 それは私たちにとって初めて歩く道かもしれないが、どの道も、これまでに幾多の人々が越えてきた道である。そのことを心に思うとき、悠久たる長い時の流れのなかで、風にふかれて今、ぽつんと自分が稜線上に立っていることを感じられるだろう。立山に登るということは、そういう時空にしばし身を置くということでもある。

 

 

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低山を歩くときは、そうやって、ただ山のなかでいくぶんぼんやりと過ごすだけで帰ってくる。それでいいと思っている。それをしに行くのだから、なにをするでもなく、ただ山を歩きに行くだけなのだ。

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低山歩きでは好きなように時間を過ごすことが許されている。そこに流れている山の時間は、いつも自分が過ごしている時間とまったく違う次元のものだ。そのことを知るだけでも、その時間を過ごしに行くだけでも十分である。山ではふだん目に入らなかったものを見、思いもしなかったことを思う。人は案外、そんなときの些細な出来事を忘れない。  

 

 

 

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・・・足もとにはよく見ると季節によっていろんな実や葉や羽根や自然の造形物がたくさん落ちていて、それはことさら遠くの自然のなかでなくても都会の街のなかでも同じで、しかもそれらは人間には決して作ることのできない美しいものなのに、誰も見向きもしない。

 自然は街のなかでも私たちとは違う時間の流れを生きていて、そのことをいつも黙って伝えている。私はそのたよりを忘れずに受け取りたいと思うだけなのだ。 

 

 

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山を歩いていて、気になったところで立ち止まって絵を描くのが好きだ。・・・・・簡単にスケッチするだけなのだが、鳥の声や虫の羽音だけが聞こえる静かな山のなかで、風に吹かれながら、物言わぬ小さい花や木々の新芽を一心に描いていると、こうことをしているときがいちばん幸せかもしれないと思う。

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そうして対象をよく見て描いていると、新芽は冬芽の間、蛇腹に折り畳まれていたんだなとか、この花びらには白いけばけばがついているんだなとか、必ず何か新しい発見がある。絵を描き終わってノートを閉じると、深い満足感がある。

 

 

 

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山はそこにあるだけで、なにも言わない。そこにあるのは、山と自分との無言の対話だけである。

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多くの山に行くなかで見つけたそんな親しい山は、いつ行っても発見があり、安らぎがあり、喜びがあり、無理をしても今日来てよかったと心から思える。大きな山には大きな山の、小さい山には小さい山のよさがある。人生のなかで日常的に山があるのは、本当に幸いなことだと思う。

 

 

 

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私はその瞬間に、以前にも、こんな美しい光景に接したような気がした。
それは子どもの頃の初夏の記憶だったか、大人になってからの山での出来事だったか、定かでないけれども、私の内に昔からある、自然のなかで美しいものを見たときに決まって心中から湧き上がる、言葉にはしがたい懐かしみを伴った、喜びの感情であった。
それは生きてきた長い年月の間に蓄積された感覚のようでもあり、生まれれたときからもっている感情でもあるようで、あるいは期せずして現れるこれが、たましいのふるえなのかもしれない。

 

 

 

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山ではいつもメモをとることにしていて、それは山を始めた頃からの長年の習慣なのだが、そうしていないと次々に山に登っていくうちに、前に登った山の印象や出来事を忘れていってしまうのが惜しいと思ったからであった。

 

 

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私も、次々に登っていくうちに前の山の出来事を忘れていってしまうので、
写真に撮っているんだけど・・・
写真が大量になっちゃって・・・。(;^ω^)